私が偏差値38から慶應義塾大学に受かった話(2)
2つ目のブログでは高校時代を振り返りたいと思います。
そんなこんなで推薦で高校に入学した私でしたが、一般入試の勉強をしていないこともあり
入学後の課題テスト(中学校の復習テストのようなもの)で320人中313位をとってしまいます。
偏差値40代の地方の公立高校で320人中313位ですから全国の同学年の高校生の中で下位1割くらいでも全然おかしくないですね(笑)
なんせこの時までwouldとworldを一緒の単語だと思ってましたから(笑)
それぐらいアホでした。
中学の時の塾は高校生は入れなかったので高校に入学してすぐに自分で色々な塾に体験申し込みをして足を運びました。
自分の中で塾の環境、指導方針、塾代などを考慮してある大手の予備校に通いたいと親に申し出たところ
『お金がないから高校の塾代は出せない』と言われました。
親は自営業をやっていたのですが、どうやら経営が苦しかったようで
『別に大学に行ってもどうしようもないんだし、大学に行きたいなら自分でどうにかしろ』
とのことでした。
真剣に大学入試を考えている私と親の考えにギャップができ、この時期から親との関係がギクシャクし始めます。
私は『嫌々、塾に行かされている子も周りにいるのになんで真剣に考えている自分が行かせてもらえないんだろう』と考えるようになりました。
こんなこと考えても仕方がないんですけどね(笑)
結局、自営業は廃業して高校1年生の夏に引越しすることになります。
しかし、夏頃までには更に他にも色々あり、親との溝が修復不可能なほど深くなっていて引っ越し先は高校から通える範囲でしたが、私は近くの父方の祖父母の家にお世話になり、別々に住むことになりました。
そこで私はバイトでお金を貯めながら参考書を使って独学で勉強を進めていきました。
関西では早慶に匹敵する私大がないこともあり、国公立=すごい みたいな風潮です。
その中でも京大、阪大、神大の3つの大学は関西ではめちゃくちゃ評価の高い大学です。
京大…東大、京大で日本の2トップ。全国クラスで有名。各地方のトップ進学校出身が大半を占める。
阪大…関西圏の公立トップ進学校出身が多いイメージ。勉強もできて部活もちゃんとやる優等生タイプ。単位取るのが3つの大学の中で一番ムズイ。
神大…関西圏の進学校出身が多い。普段はふざけてるけどなんかテストは良い点取ってるタイプ。街も学生もとにかくオシャレ。関西以外では知名度低め。
みたいなイメージです(笑)
当時の私からすると神戸大なんて夢のまた夢ですね。
バイトしながらではありますが、コツコツ毎日英単語や長文を読んではいましたが一向に成績は上がらず、高校1年生の1月の進研模試で
偏差値38、2
をとってしまいました。
模試には何種類かあって進研模試はダントツで優しい部類です。
難易度的には 駿台>東進≧河合>>>進研 みたいな感じですかね。
一番やさしい進研模試で偏差値38、2なので話にならないですよね。
それでもコツコツやって3年生になった頃には関西大がC判定、立命館大、関西学院大がD判定
ぐらいは出るようになってきました。
偏差値50後半から60前半といったところでしょうか。
それでも神戸大は相変わらずのE判定。志望者450人中438位とかだったのでE判定のなかのE判定。E of the E といった感じですね(笑)
しかもこれ進研模試の結果なので、神戸大にバンバン受かって来るような進学校はそもそも進研模試を受けてないみたいなところも多いのでダントツで最下位レベルです。
受験の天王山の夏を終え、自分の実力と照らし合わせて本格的に志望校を決める時期になっても成績は変わリませんでした。
本来ならば神戸大を諦め、志望校を落とすべきですが私はここで諦めたら今までの努力が無駄になると思い、神戸大を諦められませんでした。
一種の多浪の人の心理にも似通うところがありますね。
結局そのまま1月の共通テストに突っ込み、結果は
462/900 (=51、3%)
神戸大どころか国公立、共通テスト利用どこも通らない結果でした。
結局、2次はどこも出すところが無く共通テストは受けただけ。
私大は 同志社大 商 個別
立命館大 経営 全学、個別
関西大 商 全学
甲南大 経営 個別 を受けました。
神戸大しか考えてなかったので、共通テストが終わるまで私大の過去問は解いた事がなく、神戸大に落ちるどころか挑戦すらできなかった自分の不甲斐なさで勉強に手がつきませんでした
そんなことをしているうちに本番に近づき、各大学1年分ほどしか過去問を解く事がなく、本番に臨みました。
結果は全落ちでした。
まあ、当然といえば当然ですが、
甲南大は模試ではA判定が出ていたし、正直舐めてました。
同志社大は合格最低点まであと12点でした。
すごく後悔しました。
確かに神戸大には行きたかったけれど、もっと前に損切りしていればよかった。
自分の成績をもっと客観視していればよかった。
同志社の赤本をちゃんと解いていたら12点をうめれたかもしれない。
こんな後悔ばかりが募りました。
現役はこのように全落ちとなり、浪人生活に突入します。
浪人期は(3)で書きたいと思います。
私が偏差値38から慶應義塾大学に受かった話(1)
初めまして。パンゴリ系男子と申します!
大学に合格し、今ちょうど暇なので自分の受験時代のことを振り返ってブログとやらを
書いてみようと思います。
あまり書き方もわからず、拙い文章だとは思いますが良かったら見ていってください。
まず受験時代を振り返るにあたり、私の人生を振り返ろうと思います。
私は、大阪府大阪市生まれで中高の6年間は兵庫県の尼崎市というところで育ちました。
大阪市は置いといて、尼崎市がどういうところかというと芸人のダウンタウンさんの出身地
として有名ですね。
今は昔と比べてだいぶマシになったとは言われていますが、それでも近所の公園や駅前のロータリーで朝っぱらからおじいちゃん、おばあちゃんがワンカップの日本酒を片手に騒いでいたりする光景が日常茶飯事なディープさが残る街です(笑)
<中学時代>
私は中学は地元の公立中学に入学し、野球部に所属していました。
私の中学の野球部は地元ではそこそこ有名なくらい強く、私自身が中学から野球を始めたこともあり、練習についていくだけだ精一杯で勉強なんて1ミリもした事がなかったです。
その結果、テストではクラスで34人中28〜30位をうろちょろしているような学生でした。
しかし、先生に気に入られていたことと提出物だけは答え丸写しでも出してはいたので、
なんとか評定平均は5段階で3を死守していました(笑)
それでも自分の成績を誤魔化しきれなくなってきたので中学2年生の冬に地元の個別指導の塾に入りました。
そのとき私は勉強する習慣がついてなさすぎて週2回、英語と数学を塾で勉強するだけで勉強した気持ちになっていてそれ以外は全く勉強していませんでした。
案の定、そんなことで成績が上がるわけもなく受験期に突入します。
このままではどうしようと思っていた時に学校からの推薦で高校に行ける入試制度があることを知ります。
学校推薦での入試は3年間の成績と面接、小論文で合否が決まります。
元々、読書感想文とかは書くのが得意だったし人前で喋ることも苦手ではなかったので推薦を
受けることにしました。
その結果、学校の先生に面接練習と小論文の添削をしてもらったぐらいで一般的な高校入試の過去問とかを一切解くこともなく、偏差値40代の公立高校に合格しました。
『何だよ。偏差値50もいってない高校かよ』と思った方もいらっしゃると思います。
しかし、恐ろしいことに偏差値40代の高校でも中学では私の高校を進学校扱いしているんです。
これが尼崎クオリティです(笑)
推薦入試は2月の後半に結果がわかるので3月の1ヶ月は塾では何もする事がなく、大学生の2人の先生と高校とはどんな所か?人生とは?みたいな話を1ヶ月間ずっとしてました(笑)
結果的にこの1ヶ月が私の人生を大きく変えることになります
この2人の先生、M先生とT先生とします。
M先生は中学時代野球部で高校は私と同じ高校の出身でした。
高校でも野球を続け、引退後の3年生の夏から勉強を始め、現役で関西学院大学に一般入試で
合格されたそうです。
T先生は中学時代は不登校で偏差値40代の大阪の私立高校から大阪大学の基礎工学部に合格された先生でした。
この2人に共通しているところは逆転合格で受かったということです。
この自分の境遇と似た先生2人に『大学はいいところ行っといた方がいいよ』と言われて
大学はええとこ行けるように頑張るかぁと高校で勉強を頑張ろうと決心しました。
高校時代の話は次のブログで話したいと思います。