私が偏差値38から慶應義塾大学に受かった話(1)
初めまして。パンゴリ系男子と申します!
大学に合格し、今ちょうど暇なので自分の受験時代のことを振り返ってブログとやらを
書いてみようと思います。
あまり書き方もわからず、拙い文章だとは思いますが良かったら見ていってください。
まず受験時代を振り返るにあたり、私の人生を振り返ろうと思います。
私は、大阪府大阪市生まれで中高の6年間は兵庫県の尼崎市というところで育ちました。
大阪市は置いといて、尼崎市がどういうところかというと芸人のダウンタウンさんの出身地
として有名ですね。
今は昔と比べてだいぶマシになったとは言われていますが、それでも近所の公園や駅前のロータリーで朝っぱらからおじいちゃん、おばあちゃんがワンカップの日本酒を片手に騒いでいたりする光景が日常茶飯事なディープさが残る街です(笑)
<中学時代>
私は中学は地元の公立中学に入学し、野球部に所属していました。
私の中学の野球部は地元ではそこそこ有名なくらい強く、私自身が中学から野球を始めたこともあり、練習についていくだけだ精一杯で勉強なんて1ミリもした事がなかったです。
その結果、テストではクラスで34人中28〜30位をうろちょろしているような学生でした。
しかし、先生に気に入られていたことと提出物だけは答え丸写しでも出してはいたので、
なんとか評定平均は5段階で3を死守していました(笑)
それでも自分の成績を誤魔化しきれなくなってきたので中学2年生の冬に地元の個別指導の塾に入りました。
そのとき私は勉強する習慣がついてなさすぎて週2回、英語と数学を塾で勉強するだけで勉強した気持ちになっていてそれ以外は全く勉強していませんでした。
案の定、そんなことで成績が上がるわけもなく受験期に突入します。
このままではどうしようと思っていた時に学校からの推薦で高校に行ける入試制度があることを知ります。
学校推薦での入試は3年間の成績と面接、小論文で合否が決まります。
元々、読書感想文とかは書くのが得意だったし人前で喋ることも苦手ではなかったので推薦を
受けることにしました。
その結果、学校の先生に面接練習と小論文の添削をしてもらったぐらいで一般的な高校入試の過去問とかを一切解くこともなく、偏差値40代の公立高校に合格しました。
『何だよ。偏差値50もいってない高校かよ』と思った方もいらっしゃると思います。
しかし、恐ろしいことに偏差値40代の高校でも中学では私の高校を進学校扱いしているんです。
これが尼崎クオリティです(笑)
推薦入試は2月の後半に結果がわかるので3月の1ヶ月は塾では何もする事がなく、大学生の2人の先生と高校とはどんな所か?人生とは?みたいな話を1ヶ月間ずっとしてました(笑)
結果的にこの1ヶ月が私の人生を大きく変えることになります
この2人の先生、M先生とT先生とします。
M先生は中学時代野球部で高校は私と同じ高校の出身でした。
高校でも野球を続け、引退後の3年生の夏から勉強を始め、現役で関西学院大学に一般入試で
合格されたそうです。
T先生は中学時代は不登校で偏差値40代の大阪の私立高校から大阪大学の基礎工学部に合格された先生でした。
この2人に共通しているところは逆転合格で受かったということです。
この自分の境遇と似た先生2人に『大学はいいところ行っといた方がいいよ』と言われて
大学はええとこ行けるように頑張るかぁと高校で勉強を頑張ろうと決心しました。
高校時代の話は次のブログで話したいと思います。